お中元にそばギフト
--------------本日のそば・うどん・各種素材手作り状況--------------

■ 7月9日(水) 発送予定のお客様、到着をお楽しみにお待ち下さい (*^-^*)

挽きぐるみそば : 10時12分に作りました。担当 店長

手作りうどん : 9時39分に作りました。担当 店長

そば汁等各種素材 : 10時31分に作りました。 担当 高橋

■ 7月8日(火) 発送予定のお客様、到着をお楽しみにお待ち下さい (*^-^*)

挽きぐるみそば : 9時47分に作りました。担当 店長

手作りうどん : 10時48分に作りました。担当 店長

そば汁等各種素材 : 10時31分に作りました。 担当 高橋

■ 7月7日(月) 発送予定のお客様、到着をお楽しみにお待ち下さい (*^-^*)

挽きぐるみそば : 9時46分に作りました。担当 店長

手作りうどん : 10時17分に作りました。担当 店長

そば汁等各種素材 : 10時31分に作りました。 担当 高橋

■ 7月6日(日) 定休日につき配送業務はお休みです m(_ _)m

■ 7月5日(土) 発送予定のお客様、到着をお楽しみにお待ち下さい (*^-^*)

挽きぐるみそば : 9時41分に作りました。担当 店長

手作りうどん : 10時20分に作りました。担当 店長

そば汁等各種素材 : 10時31分に作りました。 担当 高橋

■ 7月4日(金) 発送予定のお客様、到着をお楽しみにお待ち下さい (*^-^*)

挽きぐるみそば : 10時01分に作りました。担当 店長

手作りうどん : 10時47分に作りました。担当 店長

そば汁等各種素材 : 10時31分に作りました。 担当 高橋

■ 7月3日(木) 発送予定のお客様、到着をお楽しみにお待ち下さい (*^-^*)

挽きぐるみそば : 10時04分に作りました。担当 店長

手作りうどん : 10時33分に作りました。担当 店長

そば汁等各種素材 : 10時31分に作りました。 担当 高橋

幼少時代

1967年12月12日、東京の小岩で産声をあげる。

生まれるまで医者も両親も女の子だと思っていたらしい・・

何から何まで、女の子もので用意していたらしく、
両親は大変だったみたいです^^;

私は記憶力がないらしく幼少時代の記憶がほとんどありませんが、
2歳の頃、東京の王子に住んでいた時、一緒に遊んだ
“さっちゃん”という女の子は記憶にかすかに残っています。
(今、どんな風になってるんだろう?^^)

4歳の頃に、埼玉県の川口市に引っ越してきました。

記憶力が曖昧な私でも、この頃の記憶としてハッキリと覚えているのが、
とにかく、寂しい思いをしたということです。

私の父親は大変な苦労人で中学生になる頃には働いていたそうで、
一家6人の生活をささえていたそうです。

朝から晩まで働いても、生活が苦しかったらしく
自分の“血”まで売っていたそうです・・

その影響で母と結婚したとき、すでに父の体はボロボロで、
なかなか思ったように仕事ができなかったのだと思います。

当然、家計が苦しいので私が小さい頃より母は働きにでていたわけで、
帰りが遅く、一人っ子だった私は夜になると怖くて寂しい思いをしました。

そんな貧しい家庭でしたが両親とも、とても愛情が深い人だったので、
寂しい思いもしましたが、親の愛情を感じなかったことはありません。

小学校時代も、これと、いうような思い出、出来事はあまりないのですが、
パンツめくりをして、先生にひどく怒られた記憶だけは鮮明に残ってます^^;
(スカートめくりではありません。パンツめくり・・最低ですよね><)

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青春時代パート1

中学校に入り、野球が大好きだった私は、お約束どおり“野球部”に
入部したのですが、練習中に腰を痛め、退部しました。

この時の病名は“椎間板ヘルニア”で2ヶ月も学校を休むはめになりました。

このときは本当に辛かった。

最初に通った病院では手術をススメられたのですが、どうせ手術なら
大きな病院がよいということで、他の病院で診断してもらった結果、
なんとか手術をしないで直せそうだということになりました。

病院では薬による治療だけだったので、矯正に通うことになりました。

これが、とても辛かった>< 
痛いのなんのって・・言葉では書き表せません。

そんな、中学時代も終わり、無事、県立高校に合格!

高校に入ると、何故だかバスケ部に入部。

新設高校だったので、先輩がいないのは嬉しかった^^

バスケの経験はなかったのですが、
持ち前の根性と、努力でレギュラーGET!

しかし、新設校で先輩がいないのが、あだとなり、
私が在部中一度も公式戦勝てませんでした・・

理由は覚えていないのですが、何故だか3年生になる前に退部。

それからは、めちゃくちゃ遊びまわりました^^

まるで別人!とにかく一週間のうち半分は
ディスコ(今でいうとクラブ?)に通い詰め^^;

そんな、こんなでも、推薦で調理師専門学校入学決定!

専門学校に通い始めてまず、電車通学がいやでいやで、仕方なかった・・

なんて言い訳をしてもしょうがないですよね^^見事3ヶ月で早々に中退><

リタイヤした理由は3つ。

パチンコにはまってしまった^^;

電車通学でギュウギュウ詰にされるのが嫌だった・・

そして、極め付けが、担任の先生と、いわゆる“いい仲”になってしまった。
(先生といっても当時まだ23歳でとても、キレイな人でした・・)

リタイヤして、半年くらいはパチンコ三昧 >< 

この時期は本当にひどかった・・

もちろん、パチンコなんかで生活できるわけはなく、

質屋に行ってステレオ売ったり、結構、親にも迷惑をかけました。

そんな私でしたが、専門学校の担任の先生が、
わざわざ就職を探してくれて、面接することになりました。
(この時にはもう、先生とは別れていたのですが・・^^)

面接も無事終わり、なんとか働けるようになりました。

就職口は東京の一之江にある“開花亭”というレストラン。

ここで、私の人生を大きく変える女性に出会いました。

そう、私の奥さんです^^  
この出会いがなければ今の私は絶対にありえません・・感謝^^

就職先の“開花亭”で奥さんと出会い、理由はそれぞれ違いましたが、
職場先への不満から2人で一緒に職場をやめる決意をしました。

2人で、こっそり荷物をまとめて
(言いそびれましたが、2人とも会社の寮に入ってました)
いわゆる“バックレ”です^^;最低ですね・・これは・・
ちゃんと話して辞められそうになかった・・
というのはあくまで苦しい言い訳です・・
2人で一緒にいたかったが本音^^

店のマネージャーに奥さん猛烈に迫られていて
どうにもならない状況←30過ぎのオッサンが
19歳の娘に言い寄るな!)←これも本音^^;

2人はまだ若かった^^;  店を抜け出すとすぐに“同棲生活”スタート!!

埼玉県の浦和市で暮らし始めたのですが、これが甘くはなかった。

まず、お金がない・・泣;

その頃の私はかなりいいかげんで友達に紹介されて、とりあえず、
工事現場の仕事をしたのですが、あっさりリタイヤ・・・

こんな生活長続きするわけありませんよね?

見かねた私の父親が家で暮らしなさいと、いうので、根性無しだった私は
あっさり同意。もちろん、奥さんも一緒。

一緒に暮らし始めてわずか、2ヶ月足らずで同棲生活は終わり。

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青春時代パート2

私の実家に2人で戻ると、当然ですが、
私の両親は、奥さんの両親に連絡を取りました。

すぐ、お母さんが、こちらまで来て、話し合いになりました。

奥さんの体調が、すぐれない日々だったので、妊娠を心配した、
お母さんが病院で検査してみようと、いうので、検査してみたところ、
妊娠3ヶ月目・・た・大変なことになったしまった・・

当然のことながら、奥さんを連れて帰られてしまい、
再度奥さんの実家(九州の鹿児島)で話し合いをすることとなりました。

日を改め、両親と私の3人で鹿児島に向かいました。

もちろん、私も、両親も結婚を許してもらい、
子供を生んでもらうつもりでした。

鹿児島に向かう飛行機の中で、父親が母に内緒でわたしに言いました。
“何があるかわからないから、コレをもっておけ”と言われ
3万円手渡されました。なんでだろう?と、その時の私は思ったのですが、
苦労人の父には全て、お見通しだったみたいです。

あとで、そのお金が本当に必要になるなんて・・・・

実家についた私は、奥さんの両親に頭をついてお願いしました。

生まれてくる子の為、奥さんの為、
頑張って働いてきっと幸せにしますからと・・・

しかし、当然のことだと、今は思うのですが、ろくに働いてもいない
男に安心して娘を預けるわけにはいきませんよね・・

結局話し合いは、今回の子供は中絶すること。私がせめて、3年働いたら
結婚は認めようと、いうことでした。

結論が出たあとで、私と奥さんの2人で
良く話しなさいと言われ、2人で話をしました。

私は小さい頃から子供が大好きで
中絶なんていうことは全く考えられませんでした・・
それに、奥さんとも離れたくはなかった・・

その思いを、奥さんに言いました。

奥さんは私について来ると言ってくれました。

そう・・・この2人での話し合いの結果は
“かけおち”・・・2人はまだ若かった^^;2人とも当時19歳

“かけおち”を決心した2人はその日の夜に決行することにしました。

わたしは、両親と泊まっていたホテルで、両親が寝るのを見計らって
奥さんは実家で両親が寝静まったのを見計らって・・・

当時の私はまだ、その後、私の両親がどんなに責められたか、
奥さんの両親がどんなに胸をいためたかなどと、いうことは
考えつくはずがありません・・本当にごめんなさい・・

2人は待ち合わせ場所で再会。

たぶん、近辺の電車に乗ると、すぐ見つかると思ったので、
明け方まだ、電車が動かないうちに
2人(このときはすでに3人でした^^)で、
ずーと先が見えない線路の上を歩いていきました。

かけおちしたのはいいですが、住むところも、仕事も決まっていない状態・・

あるのは飛行機の中で父が預けてくれた3万円・・

2人でその時、私の父がこういう状況も想定して、
預けてくれたことに気が付きました。
もちろん、私一人ならそんなことも、しなかったと思うのですが、
父はたぶん、奥さんが心配でそうしたのだと思います。

しかし、鹿児島で何日か過ごすうちお金は日に日に減っていきます。

この辺で仕事を探して、暮らすべきが、東京に行くべきが・・

1週間くらい鹿児島にいたと、思うのですが、
そのうち2日くらいは公園で寝ました。
(幸い夏だったので、なんとかなりました。
とはいえ、身重の奥さんは辛かったことでしょう・・)

東京に行くことを決めた私達は東京にいる奥さんの友達にお金を借りて、
列車で東京まで帰りました。

東京に着いた私達はとりあえず、友達の家にお世話になることにしました。

いつまでも、お世話になるわけにはいかないので、
2人で働けて寮がある職場を探しました。

パチンコ屋、新聞配達、だいたいこの2箇所しか
条件を満たしてくれるところはなく困っていました。
料理の道に進みたかった・・・

そんな時、広告でアットホームな寮あり!
という、そば屋さんを見つけました。

すぐ、面接に行き事情を話したところ、雇ってくれることになりました。
(この時はまだ子供がいることはだまってました)

結局、ここが私が10年間の修行を積むことになる、
“砂場”というそば屋です。

と、いうわけで、まわりの人に心配ばかりかけた
私の青春時代は幕を閉じます^^

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修行時代パート1

とにもかくにも、19歳、そば一筋人生の始まり^^

そば屋さんに勤めてまず、最初にビックリしたのが、
ものすごい儲かってると、いうことです。

車はベンツ、ローレックスの時計、金のぶっといネックレス、
不動産をたくさんもっている、などなど

時はまだまだ“バブル”真っ只中だったので、
珍しくはないかもしれませんが“そば屋さん”がそれ・・・
イメージとは全く違い、儲かってるんだなあと感心したものです^^;

いつか自分もそうなれるようにがんばるぞ!なんて思ったものです^^

あ、そんなリッチな、そば屋は私が修行した、店だけじゃないですよ^^;

そんなこんなで、働き初めてすぐ、ビックリしたのがトップページでも、
紹介している“薬味きり!見たこともないきり方で、
本当にすごいなあと、切っている先輩をみて、思ったものです。

店に入って2ヶ月したころにさすがに、
奥さんのお腹が目立ち始め隠しきれなくなったので、
店の社長に始めて、全ての事情を話しました。

社長は、快く受け入れてくれました。
(修行を始めて2ヶ月程度でしたが、真剣に一生懸命働きました。)

しかし、やはり世間は厳しいもので、店の奥さんや長老的なパートさんが
2人いたのですが、それこそ、私の奥さんも含めて、
かなり陰湿にいじめられたりもしました・・

2人でよく、励ましあったものです。

いつかは見返してやろう! 認めさせてやる!

この気持ちは大事です!くじけたら負けです!
どこにいっても必ず、人間関係にトラブルは付きもの・・

この頃、私がしていた仕事は、うどん、そばの仕込み、出前です!

この出前、最初はとても厳しかった^^;

とても忙しい店だったので、運ぶ件数も、もっていく数の多さも凄かった・・

とにかく、自分達の両親に認めてもらいたい!この一念です!

真剣に働き出して始めて気がついたのですが、私はバカ正直かなと
(自分で言ってる^^;)

私の年ではあまり経験がない人が多いのですが、私は、やりましたよ!

昔のそば屋さんの出前でよく見た光景・・そう、必殺の重ね積み^^

トップページと店主のコーナー最初に出ている写真です。

さすがに自転車では持っていきませんでしたけど^^

年数を重ねるたび台も1枚、また1枚と重ねる枚数が増えました〜

近所に大きな大学病院があったのですが、そこに容器の回収にいくと
上の階から一つ、また一つと重ねて降りてくると、
最後は天井に届く位の高さにまでなることがあり、
病棟の出口あたりで、良く拍手されたものです^^

それが嬉しくて、無理しなくてもよいのに、
パフォーマンス的にやっちゃってました〜

そのおかげで今では、腱鞘炎、
左肩の上の部分にコブができてしまっている^^;

ね、バカ正直でしょ?っていうか、もしかして単なるバカ?^^

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修行時代パート2

働き始めて3ヶ月目、忘れもしない大晦日(12月31日)の1日前
突然、わたしの両親が訪ねて着ました。

1人前になるまではと、親はもちろん、友達にも連絡を絶っていました。

どうやら、住民票かなにかでわかったらしいのですが・・・・

ちょうど、この日、頑張りすぎていた、わたしは、高熱を押して仕事を
していたのですが、夜になって、そばを作っているときに嘔吐してしまい、
ダウン >< そこにタイミングよく両親が来ました。

もう、グッときてしまいましたよ・・

本当に心配ばかりかけてスミマセン・・・
父は一言、良くやってるな、これからも精進しろと・・

叱るでもなく、殴るでもなく・・
たまりません・・・本当に頑張るしかないですよ、これは・・
さらに年が明けると、父がまたまたやってくれました・・・
出前のバイクにハンドルカバー(寒い冬には必携)が
なかったのを見ていたらしく買ってきてくれたんですよ。
この時は本当に心まで温まりました・・

そんな父の影響もあり、今まで以上の努力をしました。

修行の身では給与が安かったので(奥さんも働いてくれていました)
仕事が終ったあと、ファミレスなどでバイト。

休みの日、バイトがない日、開いてる時間は図書館で借りた本などで
歴史から政治、経済、経営など様々なことを学びました。

この時期学んだ知識などは今も役立つことが多いです。

吸収力が学生の頃と違うのではないのでしょうか。

それなりに必要な知識はあとからでも
身につけられると思いますよ。←本当^^

3年過ぎたころからでしょうか、周りの人たちの見る目が
変わってきたのがわかるようになりました。

店の奥さん、パートさんなど誰も、
嫌味なことなど言わないようになってました。
自分に自信がついてきたのもこの頃からだったと思います。
(店の仕事は一通りできるようになり、努力の結果、
店の誰よりも仕事をこなせるほどになっていました。)

とにかく10年、頑張る!そう最初に誓ったのですが、やはり途中何度も
やめたい、他の仕事がしてみたいと思ったりもしました。
書き忘れましたが、暖簾分けしてもらうのに10年なんです^^

それでも、くじけず、10年続いたのは、奥さんを幸せにしたい、
一人前の男になりたい、子供を立派に育てたい!この、強い思いです!

そんな修行時代、一番辛かったのは、父の死です。

なによりも辛かった。

でも、人前では一滴の涙も見せませんでした。

ただ強く!これからは母も私が支えていかなくてはならない。

父の死です。私のことを誰よりも見守ってくれていた父の・・

一人の時はこらえても涙がこみ上げてきて、たまりませんでしたよ・・

父にわたしの晴れ姿(独立・開業)を見せたかった・・

私の人生の中でおそらく、これからもこれほどの悔しさはないと思います。

いろいろ修行時代ありましたが、10年の修行時代を終え、
いよいよ独立開業!です!

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独立

平成9年5月20日(火)、10年間の修行を終え、いよいよ“そば処砂場”
として、オープン!開店して3年間は、お店も営業していました^^

本当は最初に店を出すときから、“出前専門”にしたかったのですが、
諸事情で、できませんでした。

修行時代に考えていたスタイルは、“出前”に特化した、“そば屋”。
そばだけの出前ではなく、お客様にとって“出前”の便利さを強化した
そば屋が作りたかった・・

例えば、トイレットペーパー、紙おむつ、雑誌、など、そばと一緒に
なにか、たまたま必要なものを、一緒にお持ちするとか、
ちょっとした、買い物の代行とか、今までにないスタイルの
“そば屋”を考えていました。
(こんなことを修行時代に、ひたすら考えていました^^;)

修行時代、独身で普通の人なら、ある程度、貯金もあるのですが、
私の場合、順序が逆で、一般的には、店を出す→結婚→子供なのですが、
私にはすでに3人の子供がいました。しかも貯金0!^^;

どうやって、お金を工面したかというと、親の助け
(父が亡くなった時の保険金)と、親戚からの借金、銀行融資
(10年勤めた、砂場の主人が保証人→借りてから3ヵ月後に主人と
トラブルになり全額返済するはめに、
なってしまいました。後ほど、この時のエピソードも書きます。)と、
いったところです。合計1500万円・・アセアセ^^;

と、いうことで、ゼロからのスタートではなく、完璧にマイナススタート・・

さあ、ここからが大変です!子供3人かかえての大博打!!

みなさんなら、どうします?時は、バブルもはじけて、不景気真っ只中!

わたしは、勝負をかけました!不景気でも勝つ自身があったのと、
このまま、修行をつづけても、どの道、生活は苦しかった・・

もちろん、なんの考えも無しに、勝負をかけたわけではありません。

これは、あくまで私のやり方なので、皆さんの参考になるかどうかは、
分かりませんが、うまくいったのは事実です。

ちなみに、借金は開店してからちょうど3年間で返し終わりました!

これから、私の開店当時の営業方法を書いていきます。
(そんなに、たいしたことは、やってませんけど・・・^^;)

オープニング・・・通常であれば最初は、がんがん売りますよね?
メニューなんかも、たくさんまいたり、事前にかなり宣伝をします。
実際、どんな店でも、最初は忙しいですよね?

私は、その逆です。理由は簡単。最初にたくさんのお客様を
呼ぶということは、とても危険だと思ったのです。

まだ、私自信、地域になじんでいない、新しいスタッフを研修をしても、
本当になれるまでは時間がかかる。
当然、忙しいと、お客様をまたせてしまう。
すると、次の注文につながりにくくなる。3ヶ月先、1年先にも変わらず、
ご注文を頂くには、最初が肝心!

例えば、オープン初日、出前で始めてご注文いただいたお客様が
1時間待ってしまったら、どうでしょう?

いままで、どこかのお店に注文をしていたけれど、たまたま新しい店に
興味があって、注文してみたら1時間も待たされる。

これでは、美味しさも、渾身の接客も半減してしまいます。

最初に“あそこは時間がかかる”などと思われてはかなりマイナスです!

一度ついたイメージを変えるのはとても大変です!
特にマイナスイメージは!

とにかくオープンだから、売れる時だから、どんどん売れというのは
私は好みません。ある意味お客様に失礼な気がしてしまう^^;

本当に長くお客様にお付き合いいただくには、
やはり最初が肝心ではないでしょうか?

それと、もう一点!銀行に信用をつけたい!!

私のようにゼロからの出発は何が大変かというとやはり“資金繰り”

バブルの頃ならともかく、不景気な世の中で銀行は貸し渋り・・

私のように、あてにする“つて”がない場合、無理やりにでも“つて”を
作らなければなりません。

そこで、考えたのが“銀行に信用されるようになろう大作戦!”

私のように担保も保証人もない者が信用されるには実績しかありません。

実績とは売り上げのことです。(あたり前ですね^^;すみません・・)

もちろん、すぐに融資などということは不可能ですけど・・

2年、3年と、不景気の中、売り上げを確実に伸ばしていけば、
かなり、有利な武器となります!
(ほとんどの会社や商店がマイナスになっている時期なので、
銀行さんの見る目は違います!)

売り上げを伸ばすには、最初、売りすぎると後が大変です!
(もちろん、ある程度の売り上げは必要ですが・・)

と、いうのが、オープニング時の営業方法として考えたことです。

少し、長くなってきたので、続きはPart2で!

・・・たぶんpart2は、ないですなあ。。。

みなさんから、続きを見せて〜 というお声もいただきましたが、
どうにも書きづらいので・・・ ^^;

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