青春時代パート2

私の実家に2人で戻ると、当然ですが、
私の両親は、奥さんの両親に連絡を取りました。

すぐ、お母さんが、こちらまで来て、話し合いになりました。

奥さんの体調が、すぐれない日々だったので、妊娠を心配した、
お母さんが病院で検査してみようと、いうので、検査してみたところ、
妊娠3ヶ月目・・た・大変なことになったしまった・・

当然のことながら、奥さんを連れて帰られてしまい、
再度奥さんの実家(九州の鹿児島)で話し合いをすることとなりました。

日を改め、両親と私の3人で鹿児島に向かいました。

もちろん、私も、両親も結婚を許してもらい、
子供を生んでもらうつもりでした。

鹿児島に向かう飛行機の中で、父親が母に内緒でわたしに言いました。
“何があるかわからないから、コレをもっておけ”と言われ
3万円手渡されました。なんでだろう?と、その時の私は思ったのですが、
苦労人の父には全て、お見通しだったみたいです。

あとで、そのお金が本当に必要になるなんて・・・・

実家についた私は、奥さんの両親に頭をついてお願いしました。

生まれてくる子の為、奥さんの為、
頑張って働いてきっと幸せにしますからと・・・

しかし、当然のことだと、今は思うのですが、ろくに働いてもいない
男に安心して娘を預けるわけにはいきませんよね・・

結局話し合いは、今回の子供は中絶すること。私がせめて、3年働いたら
結婚は認めようと、いうことでした。

結論が出たあとで、私と奥さんの2人で
良く話しなさいと言われ、2人で話をしました。

私は小さい頃から子供が大好きで
中絶なんていうことは全く考えられませんでした・・
それに、奥さんとも離れたくはなかった・・

その思いを、奥さんに言いました。

奥さんは私について来ると言ってくれました。

そう・・・この2人での話し合いの結果は
“かけおち”・・・2人はまだ若かった^^;2人とも当時19歳

“かけおち”を決心した2人はその日の夜に決行することにしました。

わたしは、両親と泊まっていたホテルで、両親が寝るのを見計らって
奥さんは実家で両親が寝静まったのを見計らって・・・

当時の私はまだ、その後、私の両親がどんなに責められたか、
奥さんの両親がどんなに胸をいためたかなどと、いうことは
考えつくはずがありません・・本当にごめんなさい・・

2人は待ち合わせ場所で再会。

たぶん、近辺の電車に乗ると、すぐ見つかると思ったので、
明け方まだ、電車が動かないうちに
2人(このときはすでに3人でした^^)で、
ずーと先が見えない線路の上を歩いていきました。

かけおちしたのはいいですが、住むところも、仕事も決まっていない状態・・

あるのは飛行機の中で父が預けてくれた3万円・・

2人でその時、私の父がこういう状況も想定して、
預けてくれたことに気が付きました。
もちろん、私一人ならそんなことも、しなかったと思うのですが、
父はたぶん、奥さんが心配でそうしたのだと思います。

しかし、鹿児島で何日か過ごすうちお金は日に日に減っていきます。

この辺で仕事を探して、暮らすべきが、東京に行くべきが・・

1週間くらい鹿児島にいたと、思うのですが、
そのうち2日くらいは公園で寝ました。
(幸い夏だったので、なんとかなりました。
とはいえ、身重の奥さんは辛かったことでしょう・・)

東京に行くことを決めた私達は東京にいる奥さんの友達にお金を借りて、
列車で東京まで帰りました。

東京に着いた私達はとりあえず、友達の家にお世話になることにしました。

いつまでも、お世話になるわけにはいかないので、
2人で働けて寮がある職場を探しました。

パチンコ屋、新聞配達、だいたいこの2箇所しか
条件を満たしてくれるところはなく困っていました。
料理の道に進みたかった・・・

そんな時、広告でアットホームな寮あり!
という、そば屋さんを見つけました。

すぐ、面接に行き事情を話したところ、雇ってくれることになりました。
(この時はまだ子供がいることはだまってました)

結局、ここが私が10年間の修行を積むことになる、
“砂場”というそば屋です。

と、いうわけで、まわりの人に心配ばかりかけた
私の青春時代は幕を閉じます^^

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